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東京高等裁判所 昭和28年(う)2100号 判決 1954年3月09日

控訴人 被告人 原久次

郎 弁護人 横田武一 吉田勧

検察官 八木新治

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役六月及び罰金参千円に処する。

右罰金を完納することができないときは金弐百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。但し本裁判確定後弐年間右懲役刑の執行を猶予する。

被告人に対し公職選挙法第二百五十二条第一項の規定を適用しない。

原審及び当審の訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

論旨第一点について。

よつて記録を調査すると、原審公判廷において検察官が自ら取調べを請求した証人を尋問するに当り、所論指摘のような誘導尋問をしたことはこれを窺知することができる。惟うに誘導尋問とは尋問者が供述者に対し、自己の希望する答弁の内容を暗示する方法を以てする尋問と解すべきところ、わが刑事訴訟法にはかかる尋問を禁止する規定はないが、供述者は尋問者の希望する答弁の内容が暗示されると、これに迎合して自己の記憶にないことまでも、その通りに答弁する虞があり、延いては裁判官の事実認定を誤らしめる虞があるから、原則として誘導尋問はこれを許すべきでなく、濫りに誘導尋問をする場合には裁判長の訴訟指揮権又は訴訟関係人の異議により、これを制限又は中止させることができるものと解すべきである。しかしながら供述者が日時の経過その他の理由で記憶を喪失し又は記憶が薄らいだような場合には、記憶を呼び起すに必要な事項を告げ又はその他適当な方法で記憶を呼び起させることは、その尋問が誘導尋問であつても真実発見のためには已むを得ないのであつて、かかる場合にはこれを禁止する理由はないのである。故に誘導尋問によつてなされた供述又はこれを録取した調書であつても、単に誘導尋問によつてなされたという理由のみで直ちにその証拠能力を否定すべきものではなく、その尋問が供述者の記憶を呼び起させるためその他已むを得ないもので特に不当な尋問でない場合にはこれに証拠能力を認め、ただその証明力については裁判官の自由心証に委せるべきものと解すべきである。これを本件について見るに所論指摘の証人は原審公判廷において検察官より尋問を受くるに当り、被告人が訪問した日時、目的等について記憶を喪失し又は記憶が薄らいで正確な供述ができなかつたため、検察官が証人の記憶を呼び起させるため已むを得ず証人が前に検察官に対して供述した内容に基いて尋問したことが右調書の記載に照らし自ら窺われるのであつてこれを以て特に不当な尋問とは認められないし、被告人又は弁護人から右検察官の尋問に対し何等異議を述べた形跡も認められないから、原審が自由な判断によりこれを採用して断罪の資料としたことは違法の措置とは認められない。次に証人鈴木むつ及び小山慶子に対する各尋問調書中、被告人が同人等方を訪問した目的に関する部分の同証人等の供述はこれを仔細に検討して見ると、被告人が同証人等方を訪問した際の被告人の言動を直接実験した事実から推測した事項を述べたものであつて単なる意見、判断乃至想像を述べたものでないことが明らかであり、また証人小林平一郎に対する検察官の尋問中「証人が館林区検察庁で調べられた際述べたことは間違つていないか」との問を発していることは記録上明らかであるが(但し所論の如く尋問の冐頭においてしたものではない)これがため特に同証人の証言の自由を抑圧するような不当な尋問とも認められない。更にまた証人藤野善次に対する尋問調書によると同証人は被告人が同証人方を訪問した日時は六月下旬であると述べているがしかしまた同時に同証人は被告人が来たのはその時被告人から貰つた名刺(前橋地方裁判所太田支部昭和二十八年領第二号の一)を駐在所の巡査に提出した日より十日位前であつた記憶があると述べており、同証人作成名義の任意提出書(被告人はこれを証拠とすることに同意している)は昭和二十七年七月十七日附となつている点より見れば、被告人が同証人方を訪問したのは同年七月初頃と認めるのが相当であるから、原審が右証人藤野善次に対する尋問調書により被告人の訪問した日時を七月初頃と認定したことを以て証拠に依らないで事実を認定したとの非難は正当でない。これを要するに所論において証拠能力がないと主張する各証拠はいずれも証拠能力を具有するものであり、原判決挙示の証拠を綜合すれば原判示第一の事実は被告人が訪問した日時及び目的の点を含め、すべてこれを優に認めることができるのである。所論は証人の証言の片言雙語を捉えて全趣旨を諒解せず又は原審が採用しない証人山田幸治の証言及び被告人の供述を唯一の根拠として原審が適法になした事実認定を論難攻撃するものであるから正当でない。記録を精査するも原判決には所論のように証拠に基かないで事実を認定したという違法は存しないのである。論旨は理由がない。

論旨第二点について。

原判決挙示の証拠を綜合すると、被告人は原判示第二記載の如く館林簡易裁判所法廷において公判立会中であつた一場検察官に対し、「お前は俺が選挙運動をしたということを無理に証人等に言わせようとしている。俺は絶対に選挙違反などはした覚えがない。みんなお前達が事件を作り上げたのだ。馬鹿野郎」等と怒号しながら同検察官の肩に掴みかかり、或はその右腕を掴んで検察官席より引張り出そうとする所為に及んだことを認めることができるのであつて、右の如き被告人の所為は刑法第九十五条第一項にいわゆる暴行を加えた場合に該ること論を俟たないところである。尤も当時被告人は酒気を帯びていたことは記録上明らかであるが、しかし論旨第三点に対する判断において説示する通りこれがため被告人が心神喪失又は心神粍弱の状況にあつたものとは認め難い。要するに原判示第二の事実は原判決挙示の証拠により優にこれを認めることができ、記録を精査するも原審の事実認定には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認の過誤あるものとは認められない。次に論旨は法廷における暴行又は脅迫による審判妨害行為に対しては、裁判所法第七十三条が刑法第九十五条第一項に優先して適用されるべきものであると主張するが、裁判所法第七十三条の審判妨害罪と刑法第九十五条第一項の公務執行妨害罪とはその構成要件を異にする別個の犯罪であるから、たとえ法廷において一個の暴行又は脅迫により審判を妨害する行為をしたとしても、その行為の態様の如何により或は裁判長の執つた処置又は命令の如何により、公務執行妨害罪のみが成立する場合もあり、或は審判妨害罪と公務執行妨害罪とが成立する場合もあり、後者の場合は一所為数法の関係に立ち重い公務執行妨害罪によつて処断すべきで両者は一般法と特別法の関係に立つものではない。若し所論のように審判妨害罪の規定が公務執行妨害罪の規定の特別法として常に優先して適用せらるべきものとすれば、法廷において公務執行中の公務員に対し暴行、脅迫を加えた場合は、法廷外において公務執行中の公務員に対し、暴行、脅迫を加えた場合よりも軽く罰せられることになり、法が法廷の秩序を維持するため公務執行妨害罪の外に特に審判妨害罪を設けた趣旨は没却せられるであろう。蓋し裁判所法において特に審判妨害罪を設けた趣旨は法廷は民主社会存立の基盤たるべき法の具体的な宣明をその使命とする裁判の行われるべき場所であるから、法の権威の確保のためには法廷の秩序を維持し、裁判の威信を保持することを絶対の要件とするのであり、従つて法廷の秩序を維持するためには刑法上の公務執行妨害罪にあたる行為以外の行為たとえばけん騒、暴言、不当な行状等法廷の秩序を乱す不穏当な言動をなす者に対してもこれを禁止する命令をなし、この命令に違反して裁判所又は裁判官の職務の執行を妨げた者に対しては刑罰を科し得ることとしたのであつて、法廷において公務を執行する公務員に対し暴行又は脅迫を加えた者に対しては刑法上の公務執行妨害罪の規定を適行すべきことは論を俟たないものというべきである。次に論旨は本件の場合の如く審判妨害罪が成立しない場合に公務執行妨害罪の規定を適用するならば、審判妨害罪が成立した場合に比較し科刑上著しく刑の権衡を失すると主張するも、所論は法廷における暴行、脅迫等による審判の妨害行為に対しては審判妨害罪が公務執行妨害罪に優先して適用せられるべきものという誤解に基く前提に立つものであるから理由がない。更に論旨は審判妨害罪と公務執行妨害罪とが刑法第五十四条第一項の想像的競合にあたるとすれば、常に公務執行妨害罪を適用することとなり、審判妨害罪の規定は空文に等しい結果になると主張するも、前記説明の如く右両罪はその構成要件を異にする別個の犯罪であるから、偶々一個の行為により右二罪名に触れる犯罪を犯した場合には刑法第五十四条第一項前段によりその重い公務執行妨害罪に従つて処断されるのは当然であつて、だからといつて軽い審判妨害罪の規定が空文に等しいとの主張は採用に価しない独断である。次に論旨は一場検察官は廷吏が被告人を検察官の傍より引きはなそうとしたら「そのままにしておけ、なぐらせろ、現行犯で逮捕する」といつて廷吏の行動を阻止したのであるが、右の如き言動は誘発して罪を待つものであつて、被告人を公務執行妨害罪として訴追するが如きは国家権力の濫用であると主張するけれども、記録によれば被告人は廷吏が被告人を検察官の傍より引きはなそうとした時より前に既に検察官の肩に掴みかかり又はその右腕を掴んで引張り出そうとしたことが明らかであるから、本件起訴を以て国家権力の濫用であるとの所論はその前提を欠き正当でない。従つて原審が被告人の右所為に対し刑法第九十五条第一項を適用したのは正当であつて所論の如く法令適用の誤はない。論旨はいずれも理由がない。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 小中公毅 判事 工藤慎吉 判事 渡辺辰吉)

控訴趣意

第一点原判決は理由にくいちがいがあるから破棄を免れない。

一、原判決の判示事実によれば「被告人は……第一昭和二十七年八月二日施行の群馬県知事選挙に際し立候補した北野重雄に投票を得しめる目的を以て(一)同年七月初頃……右選挙人である藤野善次方を、(二)次に同月五日頃……右選挙人である清水朝三方を、(三)同月五、六日頃……右選挙人である鈴木庄吉方を、(四)同日頃……右選挙人である鈴木徳重方を、(五)同日頃……右選挙人である蓮見政男方を、(六)同日頃……右選挙人である川村茂八郎方を、(七)同月八日頃……右選挙人である小林平一郎方を、(八)更に同月十二日頃……右選挙人である小山新一郎方をそれぞれ戸別に訪問して北野後援会なるものに加入を勧誘し暗に同候補に投票方を依頼して以て戸別訪問をなしとあり、右判示事実を認定する為の証拠として、一、右各被訪問者及び鈴木むつの各尋問調書、一、押収にかかる証第一乃至三号証、第五、六号証、一、鈴木徳重、川村茂八郎、小林平一郎、蓮見政男の検察官に対する各供述調書、一、邑楽郡水害予防組合管理者太田為治名義証明書」が引用せられている。今左に右証拠書類を見当してみる。

二、(イ)藤野善次の尋問調書(記録五一丁以下)検察官「右選挙の選挙運動が始つた頃被告人が証人方に行つた事はないか。」証人「……それは本年六月頃だつたと思います。」(記録五一丁)検察官「被告人が訪問した日は六月中と判然言えるのか。」証人「六月下旬頃でした。」検察官「その事につき何か確信が得られるのか。」証人「平素被告人は月末頃に勘定を貰いに歩く関係から月末頃であつたと言う事が言える訳です。」(記録五四丁)即ち、後記被告人の原審公判廷における供述(記録十丁、十八丁、二十丁)並びに司法警察員(記録一三四丁以下)検察官に対する各供述調書(記録一四八丁以下)とを併せ考えると被告人が藤野方を訪問したのは六月下旬であつて原判決の判示の如く七月初頃と認める証拠は他に何もない。右藤野の尋問調書は六月下旬という根拠をすら明確に述べて居るのである。而るに検察官は公訴の維持に執着するあまり何とか起訴状記載事実通りの答を藤野から期待したのか、検察官「証人は検察庁で取調べを受けた際原が来たのは……朝日新聞に知事選挙に三名立候補した事の載つているのを読んでいた日です云々と述べているがどうか。」と極めて誘導的尋問をこころみている。従つて右尋問に対し藤野証人が「記憶ありません。」(記録五二丁)と暗にこれを否定しているのも最もであると思われる。(ロ)清水朝三の尋問調書(記録五八丁以下)検察官「それはいつ頃か。」証人「判然記憶しておりません。」(記録五八丁)右の尋問、応答からは判示七月五日頃被告人が清水朝三方を訪問したという心証は得られぬはずである。そこで検察官「被告人が来た日に他に証人方を訪問した人はいなかつたか。」証人「……星野市太郎が私方に参りました。」検察官「その人は何の用件で来たのか。」証人「栗橋で行われた水防演習の帰りだと云つて……来た……」(記録五八丁)とある。原審はこれと、邑楽郡水害予防組合管理者太田為治作成の証明書を併せ原判示の如く認定したのであろうが証人の証言に付き何等の根拠を示していないし後記山田幸治の証言をみれば被告人は当日山形市へ旅行中であることが認められるので清水証人の前記証言は同人の記憶違いではないかと疑われる。被告人が清水方を訪問したことは事実であるがその趣旨は、検察官「被告人は証人方に来てどんな話をしたか。」証人「後援会か何かの書類を出して話をした様ですが判然と記憶しておりません。」検察官「証人は九月三十日館林区検察庁で取調べられた際我々商人に肩を有つ北野さんがより自転車業者に同情してくれ我々とは深い関係があるから是非骨を折つて貰い度い云々と述べているがどうか。」証人「はいその様な事を言いました。」(記録五九丁)右の尋問過程からみて原判示の如く被告人が選挙の目的で証人方を訪問したとのみ断定出来ない。後援会と選挙とは必然的関係を有するものとする経験則はないからといつて以つて被告人の訪問が選挙に関したものとは言い得ない。そこで検察官はこの目的に関し検察官「それは北野に是非投票して貰い度いと言う意味の話だつたのか。」と又又誘導尋問を発し証人がこれに対し、「はいその様な話が出てそして被告人から後援会に入つてくれと申込まれたのです。」(記録五九丁)と誘導された応答を為しているがこれはにわかに信用出来ない。依つて日時の点につき又目的の点についても原判示の如く認定する証拠はないことになる。(ハ)鈴木むつの尋問調書(記録六三丁以下)検察官「七月四、五日頃はどんな事で被告人が証人方に来たのか。」証人「私方に来たのは四、五日頃……」(記録六三丁)検察官「被告人が来たのは七月四、五日頃に間違いないか。」証人「この日は私の実家の両親が小麦脱殻の仕事に偶々一日私方に来ておりましたのです。」(記録五六丁)と七月四、五日頃の根拠を示しているがこれも証人山田幸治及び被告人の公判廷における供述とは矛盾しているのであつて山田幸治の尋問調書によれば七月三日から六日まで被告人と山形へ旅行したのは、「……山形のおばさんの三年忌に当りその法事があつて私が行つたから日の点については記憶があるのです。」(記録四六丁)とあるところから右山田の日時に対する根拠はより明確であろうと思われる。仮に七月四、五日頃であつたとしてもその目的が北野の後援会入会であつたか選挙であつたか又はその両方であつたかについて、「別に選挙の話は致しませんでした。」(記録六五丁)と証人鈴木が述べているし被告人は唯名刺を置いて来たに過ぎないとすれば原判示の如く「北野後援会なるものに加入を勧誘し暗に同候補に投票を依頼して」といふ事実を認定する証拠がない検。察官は、「……被告人が来た目的につき何か思われるではないか。」と尋問し、証人「はい北野に投票させる考えで私方に来たと言ふ事は思われました」と証言しているがこれは単なる判断に過ぎずこれを以て選挙に関係ありとは断定し得られないと思料する。(ニ)証人鈴木徳重の尋問調書(記録八一丁)検察官「選挙の始まる七月初め頃被告人が証人方を訪問した事はないか。」証人「ありました……その日時には記憶がありません。」検察官「被告人が来たのは新聞紙上に知事選挙に候補者が立候補したといふ記事が載つた頃か。」証人「……判りません。」(記録八一丁)検察官「……選挙運動が始まつた頃の事か。」証人「未だ始まらなかつた頃だと思います。」(記録八二丁)検察官「この前証人は館林区検察庁で調べを受けた際新聞紙上で知事選挙が始まつたと言ふ記事を見た頃の七月五、六日頃かと思ふ……と述べているがどうか。」証人「その通りです。判然した記憶はないが大体七月五、六日頃と申し上げたのでした。」(記録八四丁)と誘導尋問に対し七月五、六日頃と証人は証言しているけれどもそれもはつきりしたものではないし前記山田幸治の尋問調書及び被告人の公判廷に於ける供述を対象すれば日時の点に関する原判示の如き証拠はないし被告人が訪問した目的についても、検察官「被告人が来た時被告人はどの様な事を言つていたか。」証人「何々会とかに入つてくれと云つて来たのです……」(記録八二丁)とあり、日時と後援会とが符合して初めて原判示の如き事実を認定し得ようが右の如き証拠から直ちに選挙目的の戸別訪問と認定することには無理がある。(ホ)蓮見政男の尋問調書(記録一〇五丁以下)検察官「知事選挙の頃証人方に被告人が来た事があつたか。」証人「ありました。」検察官「それはいつ頃の事か。」証人「判然り記憶しておりません。」検察官「被告人が来たのは立候補してから後の事か。」証人「その様な事は判りません。」(記録一〇五丁)検察官「前に警察、検察庁で取調べられた際証人は記憶ある通りを述べたのか。」証人「……警察官に調べられた際は……警察官の言う通りを述べ……」(記録一〇七丁)裁判長「証人は私は忙しかつたので警察官の言う通りに印を押したと述べたが……」証人「原が来たのは五日頃だろうと警察官が言つたので私もそうだろうと言いまして……」(記録一〇九丁)、右の尋問過程からみると蓮見政男の警察官検察官に対する供述調書の記載は信用出来ないことになりその他に判示日時頃被告人が証人方を訪問したといふ証拠はない。訪問の目的に関しても、検察官「被告人は証人方に来てどんな話をしたか。」証人「北野後援会に入つて貰いたいと言う様な話をしており……」(記録一〇六丁)とあり選挙に関する訪問とは言へない。そこで検察官は、「被告人が北野後援会に入つてくれと言つて来たのは北野候補に応援してくれと言う事であるとは感じなかつたかどうか。」と誘導尋問をなしているが証人は「その様にも感じました。」(記録一〇六丁)と曖昧な返答をなして居るのであるからこれ又選挙に関したものと言う事は出来ない。(ヘ)川村茂八郎の尋問調書(記録八八丁以下)検察官「選挙運動の始まつた頃被告人が証人方を訪問した事があつたか。」証人「はいありました。それは告示前だつたと思います。」検察官「被告人が来たのは新聞紙上に候補者三名が立候補したと言う記事の乗つた前か後か」証人「六月末頃だと思います……」(記録八八丁)検察官「前に証人は館林区検察庁で調べを受けた際小池の自転車タイヤを取り替えた日は七月六、七日頃……と述べているがどうか。」証人「日時の点は現在では判然り憶えておりません。」(記録九一丁)日時の点については前同様明確な証拠はなく、訪問の目的に付証人「後援会に入つてくれと言つただけで……他は仕事の話が出ただけです。」(記録八九丁)とあるから判示の如く選挙と直ちに関係のあつたと認める事は出来ない。以上の点につき山田幸治の尋問調書によれば「原は三日頃私方に来て……私と一緒に……山形県の赤湯町へ行き……六日の朝東京に着きました……」(記録四五丁)とあり被告人の各供述調書及び公判廷における供述と符合し山田が三日と記憶する理由は叔母の法事であること前記の如くであるから前記の各尋問調書と併せ考えると判示日時に判示各戸別訪問したのではなく、被告人の司法警察員に対する第一回供述書記載の(記録一三四丁以下)の如く六月下旬であると考えられるのである。(ト)小林平一郎の尋問調書、検察官「証人が館林区検察庁で調べられた際述べた事は間違つていないか」と先づ冐頭に於て証人の証言の自由を抑圧する如き不当な尋問をしたのであつてこれは同人の検察官に対する供述調書の信憑性を確保せんとする意思と思はれるがかかる尋問方法が第一問題であつてこれに対し証人が「間違ない」と証言しても直ちに右供述調書が信憑力を有すると断言する事は出来ない。又被告人が証人方を訪問した日時について「私としては六月頃だと思つて居ります」(記録九五丁)と証言しているところからみると原判示はこの点について証拠によらずして事実を認定したものと思料する。

(チ)小山慶子の尋問調書(記録九八丁以下)検察官「被告人が来たのは三人が立候補した事を見聞した後の事と思うか。」証人「……日の点は憶えておりません。」(記録九八丁)とあり原判示の日時を右証言から認定出来ない。而して、検察官「前に館林区検察庁で調べられた際原が来たのは七月十二日頃の事です。云々と述べているがどうか。」と誘導尋問をなし、証人「それは私方の帳面の売上げの方に十二日と記載されているのでその様に申上げたのでした」(記録一〇〇丁)と証言しているが商人の帳簿上の日付は必ずしも確実なものとは言えない。訪問の目的に付いても「……私の直観では……北野を投票日には入れてくれと言う事で来たと想像出来ました」(記録一〇〇丁)とありこれは単に証人の直観と想像上の証言であつてこれを以つて事実認定の資料となし得ないと考える。

三、以上によつて判示第一の事実をみるに被告人の戸別訪問の日時目的を明確に認定し得る証拠はないし又あつたとしてもそれは検察官の誘導的、不当尋問によつて得られたもので、これを以つて事実誤認の資料とする事は出来ないから結局原審は証拠によらずして事実を認定したとのそしりを免れない。

第二点原判決は法令の適用を誤つたか又は事実を誤認した違法があるから破棄を免れないと思料する。原判決が認定した事実によれば、

第二、右第一の選挙運動をなしたことについて同年十一月七日館林簡易裁判所に公訴を提起されたので、……十二月十一日第三回の各公判が同庁法廷において開廷され検察官として同庁の職務を填補した副検事一場恵二各立会の下に……の証人尋問が行われたのであるが右尋問に当つて同検察官が被告人に不利益な供述を証人らに強いて陳述させたように誤解して同検察官に対し不快の念を抱くようになつたのと、前記第三回公判期日に偶々その二、三日前より風邪にかかり臥床していたのを押して出廷するため当日朝卵焼酎約二合位を飲んで午前の法廷に臨んだことにより一層感情を刺戟されていた折から、同日中食に外出した際ウイスキー一合位を飲んで約四十分位遅れて出廷したところ……開廷を宣した後一場検察官より……を証拠として提出につき被告人側の意見を求めたのに対し「そんなものはどうでもいい」と放言した上、その頃とみに廻つて来た前記ウィスキーの酔に乗じて同所が法廷内であり且つ開廷中であつたのをわきまえず不法にも突如検察官席に迫り一場検察官に対して「お前は俺が選挙運動をしたということを無理に証人等に言わせようとしている。俺は絶対に選挙違反などはした覚えがない。みんなお前達が事件を作り上げたのだ。馬鹿野郎」等と怒号しながら同検察官の肩に掴みかかり或はその右腕を掴んで検察官席より引張り出そうとするなどの暴行を加え、以つて同検察官の職務の執行を妨害した。」といふのである。

思ふに刑事訴訟法第二百九十四条によれば開廷中の訴訟指導権は裁判長がこれを行ふのであつて右訴訟指導に従はざる者に対しては裁判所法第七十一条同法第七十三条、法廷等の秩序維持に関する規則等があるのである。開廷中これに立会ふ検察官、弁護人は右裁判長の指導に従ふことは勿論これに協力しなければならないことは言ふまでもない。而して右裁判所法第七十三条は「第七十一条……による命令に違反して裁判所又は裁判官の職務の執行を妨げた者は一年以下の懲役若しくは禁錮又は千円以下の罰金に処する。」と規定せられ他方刑法第九十五条第一項は「公務員の職務を執行するに当り之に対し暴行又は脅迫を加えたる者は三年以下の懲役又は禁錮に処す。」と規定せられている。今両法を比較するに公務執行妨害罪に於ける妨害行為たる暴行又は脅迫は裁判所法第七十三条に言ふところの……命令に違反して……の職務を妨げた者とある妨害行為の一に数えられると思はれる。されば法廷内における審判妨害行為を処罰するに当つては先づ以て裁判所法第七十三条を適用すべきである。蓋し、刑法に言う公務員の職務執行行為に際してはこれが適正な執行を担保する何等の規定が存しないのに反し裁判官の職務執行に当つては裁判官は必要とみとめる場合裁判所法第七十一条の二の処分が出来るからである。従つて開廷中の審判妨害行為に対しては裁判所法第七十三条と刑法第九十五条とは法条競合を為し前法条は後法条に対する特別法として優先適用さるべきものと考へる。而して本件の場合の如く審判妨害罪の不成立の場合刑法第九十五条第一項を適用するならば妨害罪が成立した場合と比較し科刑上著しくけんこうを失するものと言はなければならない。仮に審判妨害罪と公務執行妨害とが刑法第五十四条第一項の想像的競合にあたるものとしたならば審判妨害罪の成否に関せず常に刑法第九十五条第一項を適用することになり裁判所法第七十三条の規定は全く空文に等しい結果になるのであらう。而して原審第三回公判調書によるときは被告人は裁判長の退廷命令には従つて退廷したのであるから審判妨害罪には該当しないものと考えられる。且つ、原審第三回公判廷において裁判長は退廷を命じた以外何等の処置にも出てなかつたところからみると未だ公務執行の妨害とまで事態を重大視したものとは考えられない。右の裁判長の心境について後に本弁護人から証拠として提出する昭和二十七年十二月二十八日付毎日新聞群馬版に徳村判事談として「被告は検事を殴りはしなかつた首筋に手をかけたが公務執行妨害とか公判の威信に拘わるなどとムキになるほどのことはないと思う」とまで発表されている位である。又昭和二十八年一月二十二日付読売新聞群馬読売に徳村判事は「被告が故意に審理を妨害裁判権を否認する意思をもつて行動したとは思われない。また公務執行妨害とか裁判官に対する侮辱ともみられない。……したがつて同事件に関係している検察官が裁判官になにか含むところがあつてこれを奇貨とし名誉威信を傷けようとする策謀に相違なくその真相は検察官に相当の責任があるばかりでなく検挙に虚偽の資料が使われている。それでは検察官が罪人を作るものだ。問題の主因は検察官の裁判官に対するうつぷん晴しである」旨声明書を発表せられている。右徳村判事の声明書を裏書する証拠として新藤栄一の証人尋問調書(記録七〇丁)「……廷吏が引きはなそうとしたら検察官がそのままにしておけなぐらせろ現行犯で逮捕すると云つたので廷吏は去就に迷つていました。」本件の場合検察官として裁判長の指揮権に協力するのが条理であるのに反つて右の如き言動を為し敢へて被告人を罪人にせんとしているのであつてこれをよいことに公務執行妨害罪として起訴せられたのは協力義務を怠り、誘発して罪を待つものであつて公務執行妨害とか審判妨害罪として処断せんとするのは名を国家権力に借りた濫用と言わざるを得ない。仮に百歩を譲り公務執行妨害罪に該当するとしても暴行又は脅迫を為す犯意を要するのであつてこれは後記の如く被告人は卵焼酌、ウィスキーを被告人としては多量に飲酒し全く心神喪失の状態においてなされたものである。暴行と云つても、新藤栄一の証人尋問調書(記録七七丁)には「それは上げた手をおろした程度です」という程度でこれを以つて公務執行妨害罪の暴行であると断定することすら疑わしい。依つて原審は右詳述した如く法令の適用を誤つたか又は事実を誤認したものであると思料するので破棄は免れないと信ずる。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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